神社仏閣などで神仏に手を合わせる時、皆さんはどんなふうに祈っているのだろう。
今困っていること、家族や友人、恋人のこと、願いごとなどを心の中で呟いているのだろうか?なかには、お経などを唱える人の姿も目にする。
手を合わせ、じっと神仏に心を向けている様子は端からも見て取れるが、その人の心の内は神仏だけがご存知だろう。
祈る方法にマニュアルはないし、何が正解かも分からない、というのが正直なところだ。
金光教の教祖は「神を礼拝するのに、別に決まりはない。実意丁寧、正直、真一心がかなめである。日々生かされているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身で、知らず知らずにご無礼、お粗末、お気障りなどをしている道理であるから、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい。」と言われた。
このみ教えから、時々刻々、神様に生かされていること、お守りいただいていることをお礼申し上げ、知らないうちに周囲や神様に無礼を働いている事をお詫びし、それから今抱えている事柄を願っていけば良い、と言われていることが分かる。だが、それは嘘偽りのない真心で、というのが大前提だ。
とはいえ、気分が晴れない、むしゃくしゃする時など心が荒んでしまう時もある。そういう時は、その気持ちをそのまま神様に申し上げながら、心が穏やかになるよう願っていくことも、正直な心であると言えるだろう。たとえ悪い心が起きたとしても、自分を責めるのではなく、良い心にならせてください、改まらせてくださいと神様に願っていけば良いのだ。
普段の生活の中で、常に神様に心を向け祈りながら、個々のお役目を果たしていけるよう、常に実意丁寧、正直、真一心で神様に向かえる自分でありたいと願っている。(編集子)
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