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今月のコラム(2023年7月)

一般のイメージで「信仰の修行」とは、参拝の他に、断食をしたり、水をかぶったり、滝に打たれたりといった荒行のイメージがある。それはそれで得るところがあるかもしれない。


けれども金光様は、「神のおかげで生きていられる人間は、日々神のご用を勤めなければならない。毎日勤める家業は信心の行であるから、家業をありがたく勤めれば、日々ありがたいおかげが受けられる」と仰っている。


信心するからと言って、何か特別なことをするのではなく、日々の生活の中で起きてくる不条理や不便、思い通りにならない現実と向き合いながら、自分の果たすべき役割を全うすることこそが、信心修行になるという。


社会や組織、家族の中にも、日々困ったことは起きてくる。その時、それとどう向き合うのか?

これを神様から自分に与えられた事柄として捉え、常に神様に最善の道筋を整えていただくようお任せしていきながら、自分も安心して最大限の努力をしていくのか、ままらなぬ今に不平不満を並べ、嘆き悲しみ心配するだけなのか?


両者の行く末が大きく変わってくることは、容易に想像がつくのではないだろうか。

前者を選択すれば物事は明らかに進展するし、後者を選択すれば事態は一向に解決しないどころか、下手をすれば後退することだってある。

さらに前者を選択して辛抱強く続けていくと、自分では思ってもみなかった、願い以上の解決(おかげ)をいただくことが起きるものだ。


日々起きてくることを、自分の役目として神様と共に「ありがたく、嬉しく、楽しく」取り組んでいくには心の修行が必要だ。しかしそこには、自分が思い描く以上の幸せな未来(おかげ)が用意されているのだ。(編集子)

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