日々神様に手を合わせていても、つい先の心配をしたり、願ったことが本当に叶うのだろうか?と思うことは、誰にでもあるだろう。
神様は目には見えないから、疑う心が起きてくるのは自然かもしれない。
けれども、目に見えないものは神様だけではない。
人間同士でも、誰かに何かを頼んだ時「本当にあの人は私が言った通りにやってくれるだろうか?」と思うことがあるだろう。
相手に頼んだ事の行く末は誰にも見えないし、確認のしようがないから、つい疑いたくなることもあるのだ。
相手に任せた限りは「信頼」という名の絆を信じる、それがものを頼むときのカナメだ。
それでも人間相手だと、稀に裏切られることもあるかもしれない。
だが、神様は決して裏切らない。それは神様と人間が親子の関係だからだ。
さて時に、神様に願ったことが思い通りにならないこともある。
違う選択のほうが良い結果になる、という神様のお導きということもあるからだ。
願った以上は、自分の願い通りになることばかりに執着せず、自分にとって最善の道がつけられると信じて願うのだ。
「疑う」と神様も本腰を入れてはくださらない。
神様にお頼み申したからには、神様を信じ、自分の出来ることに精進しながら、未来を楽しみにしているほうが気持ちも楽だ。
その先に、自分にとって「最善のおかげ」が待っている。(編集子)
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