「おかげをいただかなければ帰らないという気でいる者こそ、おかげがいただけるのである」とのみ教えを読むと、神様に「おかげをください!」と願っても良いし「おかげいただくまで帰りません!」と思ってお頼みしても良いのだな、と改めて思わされた。
人は欲しいものがある時、例えばコンサートのチケットをゲットしたい!と思えば、売出しの何十分も前からパソコンやスマホ、電話等の前に待機し、売出し時刻と同時に猛烈な勢いで画面をクリックしたり、電話をかけたりするだろう。
一斉売出しの場合は超絶な混雑でなかなか回線は繋がらない。それでも諦めることなく何度も何度もチャレンジし続ける。その間に時間は刻々と過ぎていき、あっという間にチケットは完売してしまう。その時の脱力感といったら…。諦めたくても諦めきれない!のが人情だ。
神様は、それくらいの勢いで思いをぶつけて来なさい!と仰っていることは、何とありがたいことだろう。是が非でもおかげをいただきたい!という強く厚い思いを神様に向ける。おかげの兆しが無ければ何度だって願い続ける。そうしているうちに、自分にとって都合の良いタイミングで神様はそれ以上のおかげを下さることがある。
神様に願うと、すぐさまおかげがある時もあるし、無いと思ってしまうような時もあるが、それは自分にとって本当に良いタイミングなのか?それは後にならないと分からない。
人間の計らいで良いと思うタイミングと神様から見たタイミングは往々にして違うことがあるものの、長い人生先のことは誰にも分からないのだから、先の先までお見通しの神様に委ね、日々の勤めに励みつつ、穏やかに過ごしていくほうが得策だ。祈り続けていれば必ず道はより良い方へ開けるのだから、それを楽しみにしていこう。(編集子)
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