心で人を殺すことが多い。それが神の心にかなわないことになる。
このみ教えは耳が痛い。
世の中には意地悪な人、ウマの合わない人、勘に触る人、しつこい人、うるさい人…等々、数え上げればキリがないほど、自分にとってイヤな人は存在する。それに対して抗議するわけでも、暴力を振るうわけでもないが、出来ることなら関わりたくないし、会わずにいたい。
学校や職場等、組織で生きる者は、好むと好まざるとに関わらず、イヤな人と相対せねばならない事がままある。そんな時はとりあえず上辺だけを取り繕い、その関係が一刻も早く終わるように工夫をこらすが、否が応でも長時間接することがあると、心が疲弊し荒んでいく。そんな時悪魔の囁きが聞こえ始め、気付いたら心で相手を殺していたことは数知れず…。
組織にいると、大抵周囲から疎まれる人はいるもので、気付けばそれに対しての悪口大会が始まったり、エスカレートすると、その人を貶めるような行為に走る者も出だす。だが、それも暗黙の了解で誰もが見て見ぬ振りをする。
それは、傷付けらぬよう自身を守るためでもあるし、疎まれる側も同様で、その対応が過剰過ぎて、周囲から浮いてしまう、かけ離れてしまう結果になることがある。両者の相容れない思いが、口には出さずとも、互いを心で殺してしまっているのだ。ならば、もっとコミュニケーションを取れば…と思うものの、そうしたがためにもっと事態が深刻になることもある。
価値観の合わない、相容れない人との付き合いほど辛抱のいることはないが、そこを神様に願って、相手が良い心持ちになれるよう、相手自身の心の難儀を神様に溶かしていただけるよう祈ることの大切さを、金光様はみ教え下さっている。
不愉快な思いを抱きつつも、相手のことを祈れるだけの心のキャパを持つことは容易なことではないが、イヤな人が現れたら「神様、この方と相対しますので、良き関係、良き心持ちにならせてください、お願いします!」と祈れる自分になりたい。(編集子)
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