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執筆者の写真金光教日本橋教会

今月のコラム(2023年6月)

「信じる者は救われる」…元々は聖書の言葉で「イエス様を信じていれば天国に行ける」という意味のようだ。

けれどもこれは、相手が誰であっても、本当にそうだなと思う。

それは、信仰に限らず、事柄、人間関係など、いろいろな場面で感じさせられる。


対人関係においても、相手を信じなければ信頼関係は成り立たない。猜疑心を持って相対していては、いつまで経っても心は休まらないし、物事は進展しない。

人にものを頼むにも、相手を疑っていたら、本気で頼むことはできない。

「この人なら信頼出来る」と疑いを持たず、「信じて頼む」のが人間同士の信頼関係だ。


だが「神様は声もなく、形もない」から、疑えばキリがない。

それでも、神様に頼むからには、見えようが見えまいが「信じて頼む」必要がある。

人間同士での関係と同じことだ。


さらに言うと、神様は世界の親だ。

だから、神様との信頼関係は、人間の親子での関係と同じことだ。

「親がいれば安心だ」ということを、感覚で知っているだろうと思う。

それは、理屈で理解するようなものでもない。

神様を信じるというのは、親を信じるのと同じ感覚なのだ。


親であっても、神様であっても、疑い、恐れて逃げていては、手の差し伸べようがない。信頼してくれて初めて、その関係性は築けるものだ。


そして神様を信じ、願いを立てたからには、神様が最善を尽くしてくださる。

だから後は、今自分が出来る精いっぱいを努めることが大切だ。

「信じる者は救われる」から「信じた者は救われた」と胸を張って言える信心(信じる心)を持ち続けたいと思う。(編集子)


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