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No.279 御霊祭月を迎えつつ NIHONBASHI HOT LINE

昭和三十八年、…私(畑和子)ども一家はご霊地(本部広前のある地・金光町)に住んでいました。主人(畑愷)が極度の不眠症に陥り、再々入院をくりかえすので、私は幼い子どもをかかえ、どうしてよいか分からず、しょっちゅうお結界へ泣きついておりました。金光様が、

「朝の来ない夜はないから」

と仰せくださっても、いつになったらこのトンネルから抜け出せるかと、泣けて泣けて仕方がありませんでした。そんな時、金光様はいつも、

「神様にお力、貸していただきなさい。神様にお力、貸していただきなさい」

とおっしゃって、励ましてくださいました。しかし、…。その後、…どんなに苦しい時でも悲しい時でも、あるいは重荷だなあと思う時でも、「神様、お力貸してください」と祈らせていただくと、神様がすっとお尻を持ち上げてくださり、気持ちが軽くなり、体も楽になって、その場その場がしのげ、務めさせていただけるようになりました。…畑和子遺文/抜粋

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