金光教では、盛んに「願え」と言う言葉が出てきます。だがしかし、私たちは本当に「願え」ているでしょうか?
ある方が「お願いはしているけれど、心配で夜も眠れません」と言ってこられました。…これは本当のお願いにはなっていません。
金光様が「願え」と言うのは、「あなたしか出来ないことですからお頼みします」という意味で「願う」ことです。頼んだのに心配だというのは、相手は信頼できないから、やっぱり自分ですると言うに等しいものです。
やがて同じ方が気がついて、「お願いしたからには、相手にお任せしたので、自分はもう心配しない」と言う気持ちになってみられました。すると、肩の荷がすっと軽くなり、今までと全く違って楽になれたと言われました。
私たちは長年、「一心に願え」と唱えたりしていますが、果たしてそのように楽な気持ちになれているでしょうか?もしそうなれていないならば、言葉はうわべだけで、何の役にも立たない呪文と変わりがないのです。 畑 淳
Comments