No.309 天地を見て願う NIHONBASHI HOT LINE
- 金光教日本橋教会
- 10 時間前
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戦前生まれの方とお話しましたら、戦中戦後は社会全体が貧しかったので苦にならなかったが、今の人たちは、ずっと豊かだが、人との比較で苦しんでいると言われました。
更には豊かであろうとなかろうと安心しておれる道を身に着けておかねば助かりません。
原爆で教会が焼けた跡地で布教を続けられた熊田秀雄先生のお話が思い出されます。今サツマ芋の葉と塩水で作った汁だけが一家の朝ご飯だった先生のところに、お米があと1斗しかない、1週間で切れてしまうと泣いてお参りに来られた方のお話です。
同じく金光様を拝んでいても、米を見て拝んでいるのと、一切の物が生まれてくる天地を見て拝んでいるのとは大変な違いがある。1斗あれば1週間は大丈夫と安心して、しっかり打込んで今後のお繰合せを頂くようにお願いしなさい、と御取次されると、この方は明るい顔をして帰って行けたそうです。 畑淳
※以下は、その教話の全文です。読みやすさを考慮し、空白行を追加し、〔 〕で引用者註を追記しましたが、文責は編者にあります。
昭和六十一年五月九日 熊田信道師編集発行
『御幸教会五十年史改りのあゆみ五十年 ―第一部―初代熊田秀雄の求道と布教』より
第四章 戦火の中に そして焼土に道の働きを P172
熊田信道「真一心の祈り」――金光教松山教会
教話シリーズ第十三集(昭和60年4月28日)
ある日の朝、父〔熊田秀雄師〕がお広前から御用を済まして奥へ入ってまいりました。ちょうど夏休みだったので、子供が皆んないた訳です。さあ朝のご飯を食べようということです。母が鍋を持ってきて、あの当時は何でもかでも鍋で作ってましたから、鍋一つさえあれば出来る時代でしたが、鍋を持ってきて、そしてどんぶりを置きまして、今朝もお雑炊かなあと思いました。母がその鍋のふたを開けました。お雑炊ならまだいいんですが、お汁なんです。お汁なら主食のご飯があるはずなんですが……。
母が辛そうな顔をして、「今朝はこれだけなんだよ」と言うのです。中を混ぜてみたら、葉っぱが入っている。八月ですから、教会の庭を畠にして、そこにさつま芋を植えているのですが、下の実が出来ないで、上の葉っぱばかりが伸びているのです。その葉と茎を取って来て中に入れてお汁を作った訳です。それをすくってどんぶりに入れて食べる。その時、父が、
「ああ大丈夫、うん、わたしが神様にお願いして、お昼にはもっとおいしいご馳走を頂かしてもらおう。三時間や四時間位の事は、食べなくても大丈夫だ。命は大丈夫だよ」
と言いました。子供の心というのはおもしろいものですね。親がしっかりしていたら、子供は動揺しない。近頃の若いお父さんやお母さんは、親の方が先に動揺してしまうから、子供も動揺する。どんな状態にあっても、親がしゃんとしていると子供は安心するのです。教会というところは、ご馳走であろうがなかろうが、
『食物は皆、人の命の為に天地乃神の造り与え給うものぞ。何を食うにも飲むにも、ありがたく頂く心を忘れなよ』
と御神訓を奉唱する。「たったこれだけかなあ」と思いながらも、やっぱり型通り唱えて、「頂きます」と言って頂いたのです。
これは中学一年生の時ですが、その前後の事は全く覚えていないのです。こういう細切れの場面だけが、子供心に強く印象づけられていたのでしょう。
お昼の食事はどうだったかと言うと、母が子供達に何か食べさせねばいかんというので、配給は全部頂いてしまっているけども、「もう一度配給所へ行って頼んで……」ということで、麦を分けてもらった。大麦で、丸い麦です。それをお昼には塩味をつけて炊いて食べた。
「やあ、やっぱり神様はおかげを下さったなあ」
と、父はお昼にお広前から下がって来て言いました。
「これは外国ではオートミールと言うんだ。これはどんぶりで食べたのでは味が出ないから、お皿へ入れて食べよう」
と言うので、場所も暑いトタン屋根のバラックの中ではなくて、二階へ上がって、箱か何かを腰掛け代りにして、わざわざ皿とスプンで食べました。何がオートミールかと今の子であれば言うかもしれませんか、父のその様子に素直に従わざるを得ない、父の雰囲気があったのでしょう。
父が亡くなって、昭和四十七年の秋、教会を新築するために仮広前へ移転をしました。それまで十四年余り、まったく放置していた父の書類を整理していましたら、
「生きた信心――信心のお手引きと稽古――第一集・熊田秀雄先生述(昭和29年12月発行・金光教高梁教会)」
という、古いガリ版刷りの冊子が出て来ました。
当時はまだ録音ということがあまり普及していない時代ですから、父の書いた物は多少あっても、話した物は殆んど残っていません。まして、このように文字にしてあるものは唯一であり、しかも、「生きた信心」という題も私の渇望するものであり、早速読んでみました。
〇
ところがその中にこういう文章があるのです。
「いよいよ食物が底をついた八月十七日に――」これは何時話をしたかと申しますと、昭和二十九年十月十日に本部広前での教祖大祭の際、岡山県備北教会連合会の参拝団の皆さんに霊地会館で話したものの記録であります。七年前の出来事の月日を覚えていたということは、父自身にも忘れられないことだったのであろうと思います。
「二十二年八月お盆過ぎの頃には食べるものが全然なくなりました。それまではどうにか家族八人が鉄道草にメリケン粉を少し入れたダンゴを町内会の配給係から買って食べておりましたが、これはあまりまずいので自由に手に入った訳でありましたが、それもお盆に入って配給がなくなりました」
「家内からこの事を言われましたので、何とか対策を講じなければならないので、庭に作っていましたサツマ芋の葉を実にして、お汁を作って頂くように命じました」
ああ、あの朝の事をやっぱり父も覚えていたんだ。しかも八月十七日という日まで覚えていたということは、余程父自身も応えたのだろうなぁ、という思いがしました。
「塩気も川で汲んだ塩水で塩味をつけるという状態でありました――」
ここまでは知らなかった。みそ汁だったか塩味だったか思い出そうとしていたのですが、これを読んでみて、なんと家にはみそどころか、ショウ油も塩もなかったのか。川で汲んだ塩水で味をつけたという。あれは川の水だったのか……。改めて当時の教会の厳しかった状態を思わせられました。
「これを頂いて御結界に出させていただきますと、Tというクリーニンク屋の奥さんが涙なからに次の様な相談がありました。"私の方は、前々から食糧を少し蓄えておったのでありますが、弟が満州から家族を連れて帰りまして、転入の手続はとれましたが、配給がないために蓄え米を使いますので、もう米の残りは僅かに一斗しかありません。それが先生心配になりますので、田舎に疎開させてあります衣類を始未して米に替えようかと思っておりますが、どうさせていただいたらよいのでしょうか"ということでありました」
何んとね、朝、子供等も自分も川の塩水の中に芋の葉っぱを浮かしたのを食べて、お広前では蓄え米があと一斗しかないという信者さんの御取次をする――。
「私はその時、一斗も米を持っている人が、芋の葉を今頂いた人の所に米の相談に来るというのはどうしたことだろうか。芋の葉を食べて済ました私の方は明るい顔をしているのに、米を一斗も持っている人が困ったという深刻な顔をしているのは、実に不思議な事だ。信心が有るか無いかでこれほど変ってくると、しみじみ感じました」
私はね、これを読んだ時に、この時父は四十三歳でした。私がこの記録を見つけ出したのが丁度同じくらいの歳でした。私が父の立場で、その様な状態の中で御結界へ座って、このような御取次があったらどう思うだろうか。「何をぜいたくなことを言っているのか。私らは何も食べずにこうして一生懸命御用しているのに……、たとえ一升でもお供えしたら……、私は食べたいとは思わないが、せめて子供等に食べさせてやりたい……」と、もし人間心が動いたら、口には出さないだろうけれども……、腹の中でそういう思いが動いたら、明るい顔にはなりませんよ。もう、腹が立ってくるでしょうなあ。「いい加減にせえ」と言いたくなるでしょう。
父はそうじゃなかった。明るい顔と深刻な顔、信心が有ると無いとでこれだけの相異が出ると言う。私だったらもっと暗い顔になるかもしれない。そこに父は、信心の力とその偉大な働きを改めて自覚したのでしょう。
「“あなたは形のある米を見て生活しているが、私は芋の下、即ち大地を見て生活しているのです。私は一切の物が生れてくる天地の力、即ち神様を頂いておりますが、あなたにはそれが分からないので、米を頼っていられるから、米の蓄えが減っていくのを見て心細くてしょうがないことになるのでしょう。同じく金光様を拝んでいましても、口で拝んでいるのと、本心から拝んでいるのとは大変な違いがあります。よし一斗の米をおかゆにして食べていても、一週間や二週間は充分に命を保てますから、その一週間は大丈夫と安心して、しっかり打込んで今後のお繰合せを頂くようにお願いしなさい”と御取次しましたところが、Tさんは明るい顔をして帰って行きました」
どうでしょうか。私達は信心させていただいて、本当に神様を信じ、神様におすがりし、この天地に任せているでしょうか。私達が信心している神様は天地の親神様であると、頭の中では神様のお名前なり、どういう神様であるかということを知ってはいますが、本当に私達の心の中に生きた神様、父がこの時申したように、何にも無くても、その芋の葉の下の大地を信じている。大地にすがって生きているから明るい顔がしておれるという信心、この信心こそが、まさに玉水の〔玉水教会の/金光様の〕信心だと思うのです。
ところが、だんだん恵まれてくると、形にとらわれて、思うようにいくとかいかんとかいう自分本位の見方、考え方になり、信心が上滑りになり、祈りもだんだん鈍ってくるのではないでしょうか。本当に生きた神様を心の中にしっかり頂いていたら、どんな事が起って来ても、どんな状態になっても、そこからのおかげを蒙る道を開かせていただく、力強い信心を教祖様から教えていただいているはずなのです。
「私が芋の葉を食べなければ、私にはこの御理解は出来なかったのであります。今にしてその事がおかげであることを知るのであります」
このように話しているのであります。父は、自分が芋の葉を食べるという一番苦しい時に、こういう信者さんをお引寄せになられて、そのおかげで改めて無形の偉大な力に触れることが出来たと、このように言っております。





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