オリンピックでメダルを獲得する選手や、それに出れるまでには、人知れず精進し続ける日々の連続だろう。
それはオリンピックに限らず、仕事や学業、夢を叶えるため等々、目標をゲットするには、相当な努力と辛抱が要る。
信心も同じで、大きなおかげをいただきたければ、それ相応の信心の稽古が必要だ。
お賽銭をあげて柏手を打てば、打ち出の小槌のようにおかげをいただけると思うのは虫の良い話なうえに、拝んだのに「この神様は益がない」などと勝手なことを言い、自ら神様を捨てるようなことでは、どの神様に願っても願いは叶わないだろう。
神様にしてみれば、「何ともったいないことだ、もう少し辛抱し、努力すれば願いが叶うのにな~」と思われているかもしれない。
神様を信じたからには、神様に心を向け、日々出来ることをコツコツ続ける、その努力と辛抱の積み重ねがあって初めて、大きなおかげをいただける。
神様は氏子が願ってくることを待ち、おかげをやろうと道筋を立ててくれているのに、自らその大きな働きを捨ててしまうとは…何とももったいないことだ。(編集子)
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