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今月のコラム(2019年4月)

信心していても、なかなか思うようなおかげをいただけなかったり、次々と災難が降りかかると「本当に神様はいるのだろうか?信心してるのに、なぜこんなことばかり起きるのだろうか?」という疑心暗鬼に陥ることがある。

苦しい時の神頼みで、サラッと困難が解決すれば、「ご利益がある!」ということになるのかもしれないが、そもそもその難儀の元は、長い歳月の積み重ねから生じた事柄であることが多いものだ。そんな年月を重ねて生じた難儀は、いとも簡単に解決出来ることもあるが、そうだとしても、それは目先の安易な一時避難でしかない。

難儀の根本からの助かりを願うのであれば、それなりの歳月がかかるのは当然だろうし、その日々をどれだけ神様を信じ、祈りきれるのか?信心辛抱が要ることだ。

だが、そんな苦しいさなかにあっても、神様に縋り生きていける力をいただいていることには、案外気付かないものだ。

1日1日を生きていること自体が、すでに大きなおかげをいただいていることに気付けたなら、長い歳月をかけての難儀の解決も、ありがたく思えてくるものだ。

おかげをいただけないと神様を疑うより、神様の徳の中に生かされている今に御礼申す心を忘れないようにしたい。(編集子)

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