み教えに「信心するのは親に孝行するのと同じようなものである」とある。
神様を親として慕いつつ頼み、また親に孝行する気持ちで尽くしていくと、信心らしい信心になる、ということのようだ。
また同時にこのみ教えのは、親にも神様にも安心していただける生き方だなと思う。
今は核家族が主流となり、親子世代で同居する者も減る中ではあるが、やはり親は子を、子は親を思うものだ。遠くにいたり、頻繁に会えない環境にいると、互いを心配する気持ちばかりが先立つものだ。
親が信心していると、子供はその姿を見て育ち、自身が親になった時、親が自分のことを一生懸命神様に願っていたことに気付かされる。すると、今度は自分が自身の子供のことや親のことを神様に願うようにもなる。
親孝行は側にいて何くれとなく世話をすることも大切ではあるが、それがままならない場合、その変わりに自身の信心を磨いて神様に親のことを頼み、同時に周囲の人を幸せに導く働きが出来れば、それが巡り巡って、側にいられない親のことを周囲が見てくれることにも繋がる。
神様に頼み、祈り、自身の信心の玉を磨いていくことが、結果的に何よりの親孝行となっていくのだ。(編集子)
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