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今月のコラム(2025年11月)

神のおかげは、生きているから死んだからではない、いつも受け通しである。


現代人は衣食住に恵まれているが故に、それが当たり前だと思いがちだ。

今年は戦後80年だが、その当時は食べるものも無く、爆撃に合えば命を落としたり、家も焼失したり、再起不能なまでのダメージを受けたり、日々理不尽な思いを強いられるような日常が現実にあった。


戦禍でなくとも、自然災害に見舞われたり、思いもかけないような事故、災難に遭わないとは言い切れず、それは予告なく不意打ちで起きるものだ。

そんな時、私達は頼れる人に助けを乞う。周囲の助けにより、それが何とか解決すると「やれやれ…」と胸を撫で下ろし、助けてくれた人に感謝するものの「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではないが、やがてその記憶は薄れていく。


また更なる困難が訪れ、他人には頼れないと悟ると、今度は神仏に手を合わせる。それしかもう術がないと知ると、尚更必死になって祈り続ける。「思う一念岩をも通す」との諺の通り、なりふり構わず、何とかおかげを頂きたい!と必死に祈っていると、不思議と解決の道が開ける。そんな時、神様のおかげだ!と、感動しきりになるが、これもまた時間の経過と共に、そんな一大事でさえも、忘れていく。


困難を解決出来たことは、この上ないほどの大きなおかげではあるが、衣食住が整い、日々の生活に困ることなく過ごせていることこそが奇跡の連続であり、おかげ受け放題の毎日であることにも気付かなければならない。


生き死にも神様の働きの賜物ではあるが、日々受けている恩恵に気付くこと、感謝の思いを持ち続け、その働きに報いる働きが出来る自身にならせていただくこと、それが最も大切だと思っている。(編集子)

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