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今月のコラム(2021年7月)

「烏をおとりにしてかすみ網で雀を捕っていました。かわいそうなことをすると思いました」と申し上げたら、金光様は「かわいそうにと思う心が、そのまま神である。それが神である」と仰せられた。


現代は、この雀を捕る人以上に難儀な心を抱えた方が多くいるように思います。

物理的に動物を殺めたりしなくても、周囲を嫉妬し、人を陥れたり、他人を傷付けてでも自我を押し通そうとしたり、周囲の迷惑を顧みず好き放題した挙句、その後始末を他人にさせたり、承認欲求を満たすために、後先考えずSNSで情報発信したり…と。枚挙に暇がありません。


そんな人と接したり、目にすることがあった時「何てかわいそうな人なんだろう」と同情することがあります。

物事の道理が分からず、人の情にも気付けず、自らを苦しみの最中に追いやっているような人は案外多いものです。


そんな時にただそう思って遠ざけていても、その方の難儀がなくなるわけではありません。心ひそかに「どうぞあの方の難儀なところを助けてあげてください」と神に願えと教えられています。


私自身も、昔は多くの難儀を抱え、教会の先生、家族に祈っていただいたおかげで、何とかこうして日々を立ち行かせていただいています。今度は私が人のことを願わせていただくことで、少しでも神様や私のことを祈って下さった方々への恩返しになれば、とも思います。


「かいそうな人だな」と思ったら、神様にその心を向け願うことを常にしていきたいと思っています。(編集子)

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