信仰修行の中には、山籠もりや滝行などの荒行がある。それはそれで心身の鍛錬となることだろう。
金光教では「表行(わぎょう)よりは心行(しんぎょう)をせよ」というみ教えがある。
鍛錬の修行も良いが、日々の生活の中で起きてくるさまざまな事柄と向き合い、自分の心を磨いていけ、ということだ。
生きることはストレスの連続であり闘いでもあるが、それは自分の中で発生する。
イヤだなと思う出来事や人間関係も、ストレスと感じるか、楽しめるかは、その人の心の有り様次第でもある。
起きて来る事柄をマイナスにしか受け止められず、そんな自分がイヤになる時もある。
そんな時、ふと「山にでも籠ってみるか…滝に打たれてみるか…」などと思いがちだが、実際にはそんな時間はないのが現代人だ。
そんな時は山に行ったつもり、滝に行ったつもりで、自分の「心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい」と、金光様は仰っている。
そして自分の心を神様に向けて、足りているところにはお礼を申し、足りないところは神様にお頼みをしておくのだ。
遠いところに行かなくても、日々の修行は自分の心の中ででも出来る。
そして自分の心を神様に向けて、足りているところにはお礼を申し、足りないところは神様にお頼みをしておくのだ。
神様がよいように仕向けてくださるのだから、いつか心は軽くなり、明るく楽しく喜びを感じる日々が訪れるだろう。(編集子)
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