「常日頃の信心がなければ、いざという時に間に合わない」というみ教えを人間関係に置き換えると、
「常日頃の付き合いがなければ、いざという時に誰も助けてくれない」ということになる。
神様も人間と同じで、教会に足繁く参拝したり、教会の御用をしたり、陰で人を助けたり、家族仲良くしていたり…等々、普段から神様が喜んでくださる生き方をさせていただいていれば、いざという時に、いの一番に助けてくださるものだ。
それは、日頃から神様に「いつもお世話になりありがとうございます。○○もよろしくお願いいたします」と頼み事を沢山していても、このようなあいさつを重ねているならば、同様だ。
対人関係においても、普段あいさつもしないような人が「困ったから助けてくれ!」と言ってきても、容易には助けてあげたいとは思えないのが人情だ。やはり、普段から笑顔で相対し、互いが困った時には真っ先に駆けつけて助けてあげられるくらいの信頼関係を築いていないと、自分がいざ困った!という時に助けてくれる者がいないのは道理だ。
神様は目に見えないから、つい疎かな対応になりがちのお互いだが、日々受けている大いなる御恵み(おかげ)を「ありがたく」「畏れ多く」「もったいなく」思える心持ちを忘れなければ、神様から気持ちが離れることはないだろう。
普段からの「付き合い=信心」を心がけていられる自分でありたいものだ。(編集子)
Comments