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今月のコラム(2023年2月)

沖縄県の久高島は神の島と言われ、島民200人ほどが住んでいる。

この島は神様の土地という概念から、自治会である字(あざ)名義で登記・所有しているため、個人で土地を所有することは出来ない。

ここで家を建てたければ字総会の了承を得なければならず、島を離れる時には、字に返却することになっている。

この制度は、琉球王朝時代から久高島が神の島と崇められていることに由来するが、それは今も久高島土地憲章として明文化されている。

久高島に限らず、本来土地を始めとする、自然のありとあらゆるものは、全て天地という神様がお造りになったものである。

私達はそこをお借りして住まわせていただき、神様の恵みを享受して生かされている。

にも関わらず、その根本的な成り立ちを忘れて、自分の力で生きている、金を稼いでいる、自分が社会を動かしている…等と、知らず知らず自身を過信してはいないだろうか?

例えば朝起きるにしても、眠っている間に呼吸が止まることだってあるかもしれない。どんなに自分は何でも出来ると豪語しても、確実に翌朝目覚める保証はどこにもない。

何でも自分の力で出来ていると思い込み、生かされていることへの感謝も忘れ、多くの恵みをわが物と錯覚し、果てはそれらを独占したり、思いのままにしようとする。すると、時に神様からお叱りを受ける、ということが起こってくる。

何をするにも、身体のどこかひとつにでも不都合があればたちまち何も出来なくなる。指のささくれひとつにしても痛くてままならない。

大いなるお恵み、お働きに生かされていることが分かると、感謝の思いを持たざるを得なくなる。

そして実はどんな事柄でも「させていただきます、よろしくお願いします」と神様に申し上げてから進めると良い結果までが生まれてくるものだ。

そのうえでさらに「神様のご気感に適う生き方が出来ますように」「神様と共に喜び合っていける働きまでさせていただけますように」と神様にお頼みしながら、日々の勤めに励むとなお幸せになれる。(編集子)

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