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今月のコラム(2024年2月)

人間はみな天地金乃神から人体を受け、霊を分けていただき、日々天地の調えてくださる食物をいただいて命をつないでいる。昔から、天は父、地は母というであろう。天地金乃神は人間の親である。信心する者は、一生死なない父母に巡り会い、おかげを受けていくのである。


このみ教えからは、信心している、していないに関わらず、私達は天地の中に生まれ、その恩恵により生かされ、育まれていることが分かる。しかもその天地は、言わば親と同じだったのだとも気づかされる。

両親という人の間に生まれ、育ててもらっているが、その親は順番から言えば、先にこの世を去ることになるし、その親もまた、天地の神様にお育てをいただき、歳を経て、また神様という親の御元へ還っていく。

だが、人間の生みの親である天地の神様はこの世から去ることも、無くなることもない。そう考えると、私達は一生死なない父母に守られていることが良く分かる。


私はこの元日に母を見送った。周囲の方々から「寂しくなったわね」と声がけをいただく。私の気持ちを案じて心配してくださるその思いはありがたいなと思う。が、周囲が心配するほど寂しさもなく、日々忙しくさせてもらっている。

生前に出来る限りの介護や、母が喜んでくれたであろうことも多くさせてもらえたので、私の中では何の悔いもなく、笑顔で見送ることが出来た。

とはいえ、そもそも私は母の信心のおかげで、一生死なない天地の父母に守られているので、寂しさを感じることがないのだろうと思えてならない。


親が亡くなると目に見える遺産にばかり人は心を奪われがちだが、真の遺産は親の信心なのだろうと実感している。それがあるからこそ、親がいなくなっても、私は心配することも戸惑うこともなく、いつものように元気に日々を送ることが出来ている。母が残してくれた真の遺産「一生死なない父母」である天地の神様にお縋りしながら、これからも元気に日々お役に立つ働きにお使いいただきたいと願っている。(編集子)

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