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執筆者の写真金光教日本橋教会

今月のコラム(2024年12月)

信心していると、神様を大切に思うあまりに、気付かぬうちにそれを家族に強いることがある。

神様にご無礼のない生き方をしたい、どうしたら神様は喜んでくださるだろうか…という気持ちが強ければ強いほど、自身の言動のみならず、家族の異なるやり方までもが気になってしまう。そしてついつい「そんなことでは…」といった思いが口に出てしまい、家族と仲たがいをすることがある。


教祖様は「家族一同、仲良くして信心せよ」と仰っている。

神様のことが元で家族が言い争ったり、喧嘩するようになっては、信心している意味がない。例え、家族の中で神様に無礼な振る舞いがあったとしても、本人の代わりに神様にお詫びしながら、当人がそれに気付けるよう陰で祈ることが大切だ。


家族は一番近しい存在なだけに「これくらいのことは分かってくれるだろう、許してくれるだろう」という甘え心が生じやすい。だから、気に障ることがあれば遠慮なくそれを指摘したり、怒ったりしがちだ。だが、それが他人であればそうはしないであろう。家族は他人ではないが、他人への気遣いをするように、言いたくなる気持ちが鎮まるのを待ってから話しをするくらいの心の余裕を持ちたいものだ。


家族中が仲良く、日々を笑って過ごせるほうが何倍も楽しいし、何より神様が一番お喜びになられる。だからこそ、そういう信心による生き方を心掛けていきたいと思う。(編集子)

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