「神に会おうと思えば、にわの口を外へ出て見よ。空が神、下が神」
普通、神様に会おうと思うと、人は神社仏閣に参拝する。拝殿に御神体が祀られており、それに向かって私達は手を合わせる。そうすることで心が穏やかになり、神仏と相通じたように感じる。
だが、拝む神様が天地一切をつかさどる根本の神様となると話は違う。そういう神様は果たして拝殿にずっと鎮座されているのだろうか?もちろん拝殿の中にもいらっしゃるだろうが、私達や他のあらゆる生命すべてを四六時中見守ってくださっている働きを思うと、おそらく拝殿にずっといるというのは違うのかもしれない。
天地すべてを治めている神様は家の中にもいるが、外に出てみれば、どこまでも広がる大空から、果てしなく続く大地の中までの全体がその御神体だ。その生きた天地の中で生かされているのが私達であることを思うと、四六時中私達は神様に包まれ、守られていることに気付かされる。
そんな大天地の神様の拝殿とはあくまで私達が信仰をする上での目当てとなるものであり、心の気付き、改まりの場である。その神様にとってはけし粒のように小さな拝殿のはずだが、心の中では無限に大きな神様を拝むことになる。
目には見えないが、毎日見ているこの壮大で綿密な光景こそが神様そのものなのだ。
今日も天地という神様の掌のなかで、明るく元気に、自分の役目を果たしたいと思う。(編集子)
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