今月のコラム(2026年10月)
信心においても、辛抱が大切である
人が神社、仏閣に参拝する時は、何かのお願い事がある時が多い。
「健康でいられますように」「病気が治りますように」「受験に合格しますように」「就職が内定しますように」「仕事がうまくいきますように」「結婚出来ますように」「子供が元気に生まれますように」…といった事柄から、昨今では「彼女・彼氏が出来ますように」「推しのLIVEチケットが当たりますように」「LIVEで前のほうの席が当たりますように」といったことを願うのが流行っているそうだ。
特に推し活事情において御利益のある神社が人気だそうで、推しのウチワやアクスタを持って参拝し、そこで写真を撮る若者達がいると、以前情報番組で観たことがある。
何事にも神様に頼み願いを聞いてもらえることは嬉しいことだ。ただ、最初はすぐ聞いてもらえても、だんだん簡単にはいかなくなることも多い。
神様も少しずつ向かい方のレベルを引き上げていかれるようだ。
受験にしろ、就職にしろ、業務成就にしろ、神様に祈るだけで良いかと言えばそうではなく、そうなれるよう、日々勉強したり、情報収集をしたり、自分の成すべきことに最大限の努力をすることは必須だ。
推し活がうまくいくためには、今抱えている事柄、自分の成すべきことをきちんとこなしたうえでなければ、家族や周囲に心配をかけることになり、それが神様のお心に適わないことにもなる。
どんな事柄であっても、目の前の出来事を疎かにするようでは、神様とて「はて?この方は自分の役目を果たしているだろうか?そうでなければ、ご褒美は与えられないし、何の辛抱もなしに与えては、この方のためにならないな」と、おかげの乗った手をひっこめてしまうのかもしれない。
生きるうえで目標とする事柄を達成するには、日々の精進を積み重ねていくことが土台なのだから、その辛抱があってこそ、目標もクリアー出来るし、達成した時の喜びもひとしおだ。信心においても、願いが成就するにはどうしたら良いか?神様が喜ばれる選択はどこにあるのか?自分は今何をすれば神様のお心に叶うのか?を考え、辛抱強く求めていく、一日一日の課題に取り組んでいくことが、おかげをいただく最短ルートのように思う。
「辛抱」は一見すると、ツライ事柄の連続のように思えるが、日々の積み重ね=辛抱なのだと思えば、目の前のことだけに集中出来るのではないだろうか?見えぬ先の心配は神様にお預けし、今この瞬間、瞬間を神様に心を向けつつ、自身の課題に取り組んでいくこと、その辛抱こそが、自分の願い以上のおかげとなり、明るい未来を切り拓くことになるのだと思う。(編集子)





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