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No.245 お手伝いができる人になろう NIHONBASHI HOT LINE

ある修行生が修行の道に迷い、毎夜教祖様の奥城に通い祈念をした。ある晩ふと「神は人を助けたいばかりなのだ。だたそれを取り次ぐ人がいないので助けることができず、それが残念でしかたがない」と感じたそうです。

これを聞いて、私も改めて「そうですねー!やっぱり信心するからには、おかげを受けて、さらに神様に喜んでいただく『仲立ち』の働きをさせていただかねばなあ」と思いました。

金光教でいう「取次」とは、資格を持ったものだけがするのではありません。まず身近な人の難儀を知ったら、自分が「仲立ち」となって取り次ぐということをしない限り、その人は神様のおかげの受けようがありません。

その究極の取り次ぐ人を日本人は「生神」と呼び、釈迦やキリストも、実はその働きをなした生神であったと考えればよいのです。

我々にとって生神とは特異な存在に見えますが、その生神の「お手伝い」をするならば、神様は最も輝くことになりましょう。 畑 淳

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