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No.267 最後の米に揺るがぬ信頼 NIHONBASHI HOT LINE

私の岳父・𠮷川信雄師の50日祭が終わった。その出生は父親が満州ハルピンでの布教を開始して間もない頃だった。十畳と三畳二間だけ、上下水道なしの教会で、産婆さんを呼んでの出産だった。父親が母親に代わって御神飯を炊くにあたり、米はどこかと聞いたら、あった米は炊飯一回分だけで、後の入れ物はカラだった。親方の「御用」をする働き手を養わない親方はいない、という。神様の御用をさせていただくのだから、神様が死なせることはないと信念していた母親だった。

父親はお下がりを母親に食べさせ、自分は断食の覚悟でいたら、その日のうちに、「おかげを受けたので」と言う人が、お手紙と共にお米のお供えを届けさせて来た。・・・

私もよく、「神様の御用をさせていただく」と口にはするが、本当はどうであろうか。そのためには、ウソ、ごまかし、手抜きがあっては「御用」にならないが…。そして目前に危機が迫る時、神様への揺るがぬ信頼を持ち続けられるか否かが一番の鍵なのだろう。 畑 淳

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