「No.285 なぜあのお話をされたのか」で、ある先生の教話のことを少し紹介しました。実はその先生には4月のご大祭の時に、日本橋教会でも同じ話をしてくださいとお頼みしておりました。今月発行する『にほんばしたいむず』にはそのお話を掲載します。
まず音声から文字にする作業をする過程で、私は話のポイントを聞き間違えていたと反省させられました。私たちは人の話を勝手な思いで聞いたり読んだりしており、その真意をしばしば取り違えているのだと思います。
さて先生は小さな目から大きな目へ、人間の目から神様の目へと変わっていくこと。取次とい対話の場がその働きを促していること。それらの真価を語っておられました。
金光教とは人間の目から神様の目へ、昨日の自分より明日の自分へとより大きく成長し続けていく道なのだと、私も改めて思わされました。その場その場の願い成就も大切だが、成長し続けていけることのすばらしさも、楽しんでいきたいものだと思わされました。 畑 淳
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